スノーボードの歴史
スノーボードは1970年代初期より、サーフィン感覚で新雪を滑りおりる遊びのようなところが起源だとされております。(※実際には1枚板で雪の上を滑るというものはもっと以前からあったようです。)
1970年代後半には、シムス、バートン、モスなどの老舗メーカーが誕生し徐々にスポーツとして浸透していきます。
1980年代に入ると、各国にスノーボード協会は発足され、より認知度が高まってきます。
1990年代には、ワールドカップもおこなわれるようになっていきます。この頃から、日本でもスケートボードのイメージもありスノーボードを始める人が増えてきます。(この頃にわたしも始めました。)
【この辺りから爆発的にスノーボード人気が高まってきました!】
1998年 長野冬季オリンピックより、パラレル大回転、ハーフパイプが正式種目となり盛り上がりました。
2006年 トリノ冬季オリンピックより、スノーボードクロスが正式種目となりました。(わたしも何度か草大会に参加しました。)
2014年 ソチ冬季オリンピックより、アルペンスタイルのパラレル回転、フリースタイルのスロープスタイルが正式種目となりました。
2018年 平昌冬季オリンピックより、ビックエアーが正式種目となりました。(もうすぐ開催ですね!)
今からドキドキと興奮しております。できるだけスノーボードの種目はリアルタイムでみたいものです!!
2018.2.6
わたしのスノーボードの歴史
はじめたきっかけ
大学1年の時に友人に誘われてスキーに行きました。サークルでも誘われたりするので道具も買い揃え、何度か滑りに行きました。大学2年になった頃には、パラレルができるようになっていました。(しかし、そこまでハマっていた訳ではありませんでした。)
当時深夜に『SKINOW(スキーナウ)』というテレビ番組がありました。たまたま見ていた回で『スノーボード特集』がやっていて、飛んだり跳ねたりしながら自由に滑っているスノーボードの映像に目を奪われてしまいました。
これだ!と思った私は、翌日には道具を探しを始めました。当時スノーボードを売ってるのは専門ショップのみで、アルペンやヒマラヤなどの量販店では売っていませんでした。当然ネットもありませんので、どこで売っているのかも情報がありませんでした。
友人伝えに、やっている人がいると聞き本人と連絡を取り、半分強引に板とバインディングを持ち合わせのお金で譲ってもらいました。
板はリブテックでバインディングはバートンでした。しかし、当時メーカーの違う板とバインに互換性がなかったのか、リブテックの板に穴をあけ無理矢理バートンのバインがくっ付いていました。笑
なので、角度が変えることができませんでした。
道具が手に入ったことが嬉しくて早速スキー場に向かいひたすら練習をしました。しかし、レッスン本も殆どありませんでした。どう練習して良いかもわからず、当時学生だったのでお金もなく、おんたけスキー場(現おんたけ2240)でやっていたスノーボードレッスンを木の陰から覗き見をして勉強しました^^;
これを当時私は、『星明子作戦』と命名しておりました。笑
この作戦の甲斐あってか、大学3年生からメキメキとスノーボードが上手くなっていきました。4年生になると滑りに行きたいタイミングで行けないジレンマからハイラックスサーフを5年ローンで購入して自力で滑りに行くようになりました。
これで更に滑れると思った矢先に、驚くことがおきるのです!
スノーボードの迫害
当時スキーヤーばかりのスキー場に突如スノーボーダーが押し寄せるようになりました。
わたしも実際そうでしたが、誰も教えてくれる人がいないのでリーシュコードもなく、板は手で持ってリフトに乗る、どこにでも座ってバイディングを装着する、コースの真ん中で止まっている等といった危険行為が横行してしまった為に、安全面からスノーボードに対して規制がかかるようになりました。
各スキー場がスノーボードを一部滑走禁止としたのです。中には全面滑走禁止のスキー場もありました。
スキーヤーの方達からは、スノーボーダーはマナーがなっていないんだ!などとレッテルを貼られ肩身の狭い思いをしていたのもこの頃でした^^;
岐阜県では、1500円支払って作る顔写真入りのスノーボーディングパスというものが発行されるようになりました。(1995年頃から始まったと記憶しています。)毎年お金を払って並んで更新までしなくては滑ることができませんでした。
しかし、スノーボード人気が増していくにつれてどんどん規制も緩和され、いつの間にかスノーボーディングパスのシステムはなくなり、各スキー場もスノーボードを全面滑走にしていきました。
※迫害という言葉を使ってしまってますが、あくまで安全に配慮してのことだったと私自身は思っております。色々な規制がなくなった最近誰もリーシュコードなど付けていません。先日ファミリーゲレンデに滑りに行きましたが、1日で3回もスノーボードを流してしまっているのを見かけました。幸いどれも事故になりませんでしたが、非常に危ない事です。リーシュコードを付けるのが義務でないのなら、せめてその危険性を初心者には教えるべきですね。
穴場スキー場を探す旅
社会人になってもスノーボードを続けていた私は土日しか行けなくなりました。大学生の時に行っていた鷲ヶ岳スキー場やダイナランドなどは、(その当時高鷲スノーパークはまだありません)恐ろしい位、土日は混んでおりました。
今では想像もつかないと思いますが、日曜日滑る為に土曜日の夜中の12時に名古屋を出発して日曜日の朝8時に鷲ヶ岳スキー場に着くのです。(2018年現在は2時間で着きます。)そして30分並んでリフト券を買ってリフト1本乗るのに1時間も並ぶのです。帰りも日をまたぐことも少なくはありませんでした。
※当時は高速道路も「美並IC」までしかなく、下道しか選択肢がなかったことも道中が混んだ理由の一つでしょう。またバブル時の映画『わたしをスキーに連れてって』世代のスキーヤーと始めたてのスノーボーダーが入り交じり客がとにかく多かったイメージがあります。
いくら忍耐力のある私でもこれではやっていられません。元々鷲ヶ岳に行っていたのも広いスキー場だったという理由で、ボード規制がかかっている鷲ヶ岳では一部しか滑れません。それなら空いている所ならどこでも良かったので、穴場のスキー場を探すようになりました。
奥美濃エリアでは、しらおスキー場、イトシロシャーロットタウン、母袋スキー場などへ行きました。
奥美濃エリアは例えスキー場が混んでいなくても、道が混んでいたので御岳エリア、飛騨エリアにも穴場を探していきました。
御岳エリアでは「オケジッタスキー場」というのがありました。飛騨エリアでは、すごう高原スキー場、原山市民スキー場、平湯温泉スキー場、濁河温泉スキー場など、超マイナースキー場へも行ってみました。
更には、西濃エリアの揖斐高原スキー場、国見岳スキー場、長者平スキー場へも行きました。
※赤文字のスキー場は閉鎖となりました。また資料が集まったら、今は無き伝説のスキー場という記事を書いてみようと思います。笑
また、奥美濃でも「ホワイトピアたかす」で早朝から午前中を滑って昼には帰るということで時間をズラして混むのを避けたりしておりました。
このように、少しでも滑りたいという気持ちからありとあらゆる穴場スキー場を探しておりました。でも今思えば、それがとても楽しく良い思い出になっています。
スノーボードチームの結成
迫害、混雑、渋滞などの様々な苦難を乗り越え20代後半になった頃には、一緒にスキー場に行っていたスキーヤー、スノーボーダーの友達が結婚や転勤などを理由に引退していきました。
まだ、スノーボードに対する情熱の冷めない私は仲間を求めてスノーボードチームを立ち上げることにしました。スマホの無い時代でしたが、パソコンでネットはできましたしガラケーでもモバイル版のHPなどは見ることができました。
そこで、モバイル版のHPを作成しスノーボードメンバーを募集してみたところ、沢山のメンバーが集まってくれました。2年位は募集し続けていたけど多くなりすぎると管理できなくなるので途中で打ち切りましたが、最大で20人以上はいたのではないでしょうか?
決起集会で盛り上がり、泊りで合宿を組んだり、チームで大会に出たり、DVDを作製したり、大会の運営を手伝ったり、スキー場のパークアドバイザーをしたりと約10年位は活動をしておりました。
※チームバナー設置2007.12.17
※チームロゴ入りアイテム 2007.1.14
※クロス大会 2006.3.4
その後、チームとしての活動はなくなりましたが、今でも10人位は仲良くシーズンに1~2回日程を合わせて滑りに行っております。
今後のスノーボード人生は?
20歳の時にスノーボードを知り、ハーフパイプ、キッカー、ジブ系、スノーボードクロスの大会に参加したり、チームを作ったり、色々な事をしてきましたが、ここ数年は仕事上のこともありシーズンで4~5回付き合いや家族で行く程度になっておりましたが、今シーズンから再び熱が上がっております。
Youtubeでエグいカービングターンをしている映像を見てしまい、自分もあんなカービングをしてみたいと思い、今シーズン(2017-2018)から練習に取り組んでおります。
※イメージ画像
いつできるようになるかわかりませんが、今は滑っていて楽しくて仕方ありません。
雪の降った後などはパウダーボードで新雪を楽しみますが、それ以外はカービングターンの練習をしております。
なので、今のスタイルは基本フリーランメインでやっております。
今後の目標は、エグいカービングターンを身に付けることと、バックカントリーをすることです。
また、海外のスキー場にも行ってみたいと思っております。
その時は、ブログでアップしたいと思っております!
こんなスタイルのわたしですが、友達になってくれる人は随時募集しておりますので、気軽に声をかけてくださいね♪
では、また!
※雪山フリークの夢を叶えるプロジェクト始動!
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